「重度知的障害者と聞いて、どんなことを感じますか?」
かわいそう?
コミュニケーションが取れない?
なんか怖い?
どうしていいかわからない?
私は、重度知的障害者生活介護施設で非常勤として働いていました。
この仕事をするまでは、障害者と呼ばれる方々がどのように暮らしておられるのか、私は、全然知りませんでした。
友人に紹介され、今の施設で働きだしたものの、私も最初はどうしていいか分かりませんでした。
会話でしっかりコミュニケーションを取れる方もいれば、言葉を発することは難しくても、ジェスチャーや独語で思いを伝えてくださる方もいます。
自分の思いを伝えることができない方は、どんなことが好きなのか、なにが嫌いなのか、どうすれば安心して過ごせるのか、私たちは、その方の毎日の様子から気づき、共有します。
一緒にいれば、どんどん解り合い、相手のことも、そして、自分のことも伝えあっていくことができるということを私は、知ることができました。
みんな最初は【知らない】だけなんです。
私は『障害者』の『障害』とは、彼ら自身が持つものではないと考えています。
生きていく上での周囲の環境や他者との関わりに『生きづらさ = 障害』を感じる『者』が『障害者』と呼ばれているのだと思っています。
例えば、普段みんながなにげなく越えている歩道の小さな段差。
あなたは、その段差に『生きづらさ』を感じますか?
その段差、車イスでは乗り越えるのに苦労します。その段差が『生きづらさ = 障害』なのです。
ある方にとっては、伝えたいのに伝わらない、もどかしい思いで奇声を発してしまう。壁を叩いてしまう。
相手が分かってくれない。うまくコミュニケーションが取れない。それが、『生きづらさ = 障害』となります。
このような環境や関係に『障害(生きづらさ)』を感じる方が『障害者』と呼ばれているのだと思います。
周囲が少しずつ変われば、『生きづらさ = 障害』は、減るんじゃないか?
そのことをみんなに知ってもらえば、気づいてもらえば、『生きづらさ = 障害』は、減り、それを補い合い、助け合うことがあたりまえになる社会に変わっていくんじゃないか?
そんなことを想います。
車イスの方が段差に苦労されていたら、「お手伝いしましょうか?」と勇気を持って声をかけてみてください。
断られたって、それもひとつのコミュニケーションです。
奇声を発してしまっている人がいたら、「怖い」と思ったり、「なんだアイツ…」と怪訝な表情をするんじゃなくて、「なにか伝えたいことがあるのかな?」と思ってみてください。
心の中で思うだけでいい。それだけで、少しずつ、少しずつ明るい未来へと変わる。
今、そこにあるのは、【無関心】
まずは、知ってほしい。知ろうとしてほしい。【無関心】をなくしたい。
269.は、そんなお手伝いをする活動です(^^♪
269.(つむぐどっと)竹内 知美